ル・コルビュジエ
モデュロール
1956
Prints
H70 × W53 cm
ときの忘れもの
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Artist Profile
ル・コルビュジエ(本名:シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ)は1887年10月に時計の文字盤職人の父とピアノ教師の母との間に生まれました。家業を継ぐはずでしたが弱視のためかなわず、画家を目指して美術学校へ入学。在学中に彼の才能を見出した校長の勧めで建築の道を歩み始めます。1908年にパリに行き、鉄筋コンクリート建築の先駆者オーギュスト・ペレの事務所で働き、10年からはドイツ工作連盟※の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に籍を置き、実地に建築を学びました。その後、17年にパリに戻り画家として活動をしながら、22年に従兄弟のピエールと共同で建築事務所を設立しました。
ペレの事務所でコンクリート技術を学んだル・コルビュジエは、1914年、それまでの石やレンガによる西欧の伝統建築とはかけ離れた、スラブ、柱、階段のみが建築の主要要素だとするドミノシステムを考案。機能性を信条としたモダニズム建築を提唱しました。
26年には、「新しい建築の5原則(ピロティ、自由な平面、自由な立面、独立骨組みによる水平連続窓、屋上庭園)」を提示。その理念を体現した最高傑作が「サヴォア邸」と言われています。
30年代には「現代建築国際会議(CIAM)」のリーダーとしても活躍し、いくつもの都市計画を提案しました。
建築家として有名になってからも絵を描き続け、画家としての顔も持っていたル・コルビュジエ。
1918年に、画家オザンファンとキュビズムを純粋化させたピュリズム(純粋主義)を唱えて絵画を発表し、画家としてデビューします。
また、1920年には雑誌「レスプリ・ヌーボー」を創刊して自らの理論を掲載。この時の記事に「ル・コルビュジエ」というペンネームを使うようになりました。
1929年には、従姉妹のピエールとシャルロット・ペリアンのコラボレーションで家具「LCシリーズ」を発表。シンプルで機能的なデザインは時代を超えて愛され続け、現在でもシリーズとして販売されています。
第2次世界大戦後は、ヨーロッパの男性の身長183cmを基準にした独自の尺度「モデュロール」を完成させ、集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」に採用しました。国立西洋美術館本館にもこの尺度が使われています。
晩年には初期に見られるような機能的なデザインから離れ、「ロンシャンの礼拝堂」に見られるような有機的で自由な造形的な建築物も手掛けました。これは後期の最高傑作と言われています。
65年、南フランスで海水浴中に心臓発作のため逝去。77歳の生涯を閉じました。世界12カ国にわたり60点あまりの彼の作品は、今なお人々を魅了してやみません。
ときの忘れもの
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