菊畑茂久馬

Mokuma Kikuhata

海道十六

1990

油彩、キャンバス

Painting

H194 × W130 cm

Artist Profile

菊畑茂久馬
1935-2020
Mokuma KIKUHATA
1935年長崎生まれ。
1957年、「九州派」に参加、画家として頭角を現す。1958年より「九州アンデパンダン展」を主宰する一方で、1957年より東京の読売アンデパンダン展にも出展。
1961年には「現代美術の実験」展(国立近代美術館)の15人の出展作家の一人として選出され、1962年には南画廊(東京)で個展を開催。以後、前衛美術のホープとして注目された。
1962年九州派脱退。1964年筑豊の炭鉱画家山本作兵衛の作品を知り衝撃を受け、当時ほとんど評価されていなかった作兵衛の作品を「美術」として評価する論文を書く。作兵衛の『筑豊炭坑絵巻』(1975年)の編纂に関わったり、1970年には作兵衛を東京に招いて自身が教鞭をとる美学校の生徒に作品を模写させたりするなど、作兵衛の絵の作品としての評価、ひいては世界記憶遺産への認定に大きな役割を果たす。福岡を中心に、数多くの公共空間に陶板壁画を制作。

<九州派について>
1950 年代後半から 60 年代初め(昭和 30 年代)は、国内外において芸術の変革が叫ばれはじめ、 多種多様な美術が登場し始めた時期にあたります。日本においては、この頃東京だけでなく各 地方都市でも様々な前衛美術グループが結成されました。既存の公募団体によって作り上げら れた美術システムに不満を抱いた若い美術家たちがグループを結成し、無審査の公募展「読売 アンデパンダン展」や屋外など作品展示には向かないような場所や舞台として、「絵画」「彫 刻」 の枠には収まりきれないエネルギーあふれる実験的な作品を発表し始めました。東京の 「ネオ・ダダ」 、 関西の「具体美術協会」がその代表的なものですが、中でもとりわけ異彩 争放っているのが福岡市で結成された「九州派」です。
「九州派」の特徴は、生活者の視点からの美術表現や人々の生活に根ざした活動姿勢にあると 言えます。それは日常の現実の中に美術や引き下ろし、また逆に、 日常の卑俗さなどを一つ の美術表現に高めようとする行為、と言い換えられるでしょう。これは、九州派メンバーのほ とんどが専門的な美術教育を受けておらず、「画家」であると問時に「生活者(労働者)」 で あるという意識を強く持っていたこと、当時福岡県内では三井三池争議に代表される労働組合 運動が盛り上がっており、思想的に共鳴する者が九州派内に含まれていたことなどが背景とな っていると思われます。
九州派の作家たちは廃材やごみを作品素材として用いましたが、最も特徴的なものがアスフア ルトです。都市化の進み始めた福岡市内で入手しやすかったアスフアルトは、安価で、しかも 独特の光沢争もち乾燥も早かったためです。また光沢のある黒という色が、日本の近代化を支 えた三池の石炭と労働者のエネルギーを連想させたため、この素材は九州派のトレードマーク となりました。 結成当初は、東京での頻繁な展覧会活動によるその存在のアピール、そして アンデパンダン展の組織などによる地元美術界の再編を試みました。しかし「前衛」に対する 意識の違いから 1959 年末に大分裂。桜井により再建されるも、1968 年のグループ展参加を最 後にその活動に幕を下ろしました。
作品の保存よりもまずその効果やアピール度を重要視した作品が多く、作品の形やともなわな い活動形態も数多くあったため、作品として現存するものは極めて少なく、九州派は長い間伝 説のベールに包まれたままでした。1988 年、福岡市美術館における「九州派援一反芸術プロジ ェクト」 の開催で、その全容が明らかとなりました。2015 年には、「九州派大全」 (福岡市 文化芸術振興財団発行)が刊行され、九州派への注目が高まっています。

Masters

Detail
SECTION :
AFAF Special Booth
BOOTH :
A04