AFAF×紀南アートウィーク特別鼎談
「アジアのアーティストが挑む、流動性と共生の未来」
Sep 18, 2024
まもなく9月20日(金)から福岡でスタートするART FAIR ASIA FUKUOKA 2024と時を同じくして、和歌山で紀南アートウィークが同日より開催されます。今回の特別鼎談では、AFAFと紀南アートウィークそれぞれの魅力に迫り、アジアを代表するアーティストたちがどのように西洋的な価値観を再考し、新たな視点を提示しているのかを探ります。紀南アートウィークのテーマ「いごくたまる、またいごく」が示す流動性と共生の概念、そしてAFAFで展示されるアジアアートの未来を、両イベントに関わるゲストが語り合いました。
<ゲストプロフィール>
藪本雄登(やぶもと・ゆうと)
紀南アートウィーク 総合プロデューサー、アウラ現代藝術振興財団 代表
ラワンチャイクン茉莉(らわんちゃいくん・まり)
アーティスト/大阪大学大学院生
宮津大輔(みやつ・だいすけ)
Photo: Tadayuki Minamoto
アート・コレクター、横浜美術大学教授、博士(学術)、AFAF2024スペシャルアドバイザー
宮津大輔(以下、宮津):まず藪本さんに伺いたいのですが、紀南アートウィークについてお聞かせください。特に、ここ数年力を入れている「みかんコレクティヴ(Orange Collective)」や、藪本さんご自身が関心をお持ちの「ゾミア」というテーマについてもお話しいただけますか?
藪本雄登(以下、藪本本):藪本です、よろしくお願いします。紀南アートウィークに関しては、宮津さんには本当にお世話になっています。実は2021年に宮津さんが「やりましょう!」って声をかけてくださったのがきっかけで始まったんですよ(笑)。私は特に東南アジアのアートコレクションをしているので、それらの作品を活用しつつ、滞在制作型で毎年1人か2人、国内外のアーティストに、長期ベースで新しい作品の制作を依頼しながら展開しています。
和歌山の紀南地域では鑑賞者がそれほど多くないので、小さな展覧会をいくつか開き、鑑賞者を増やしていくような取り組みを継続しています。また、「みかんコレクティヴ」では、アーティストの廣瀬智央さんや地元の農家の方々と協力して、タイのチェンマイのランド・ファウンデーションのような農業実践を参考にしながら、農園そのものをアート作品にするような取り組みをしています。
私自身はアートコレクターである一方、海外の法律事務所グループの経営者という立場もありまして、法律の仕事では国家権力や政治的な力に縛られることがありますし、会社の代表としては従業員をある意味「拘束」し、「拘束」される立場にあります。そうした制約をどう乗り越えていくかに興味を持っていて、特に東南アジアの山岳民族に注目しています。彼らの生き方には、私の故郷である熊野や紀伊半島の山の中で暮らす人々の生活と通じる部分があると感じているんです。常に移動しながら、アニミズムや神話と結びつき、無文字文化を展開しながら、権力や支配から逃れながら生きている彼らの姿に共感しています。紀南アートウィークでは、白浜や田辺の魅力的なリゾート地において増えつつある国内外からの投資の中で、いかにして自分たちの居場所を作り上げるかというテーマも大切にしています。
宮津:ぜひ「ゾミア(Zomia)」についても詳しくお聞かせください。
藪本:「ゾ(zo)」はチベットやミャンマーの言葉で「とても高い」や「とても遠い」という意味を持ち、「ミア(mia)」は「人々」を指します。1980年代からミャンマーの人類学者たちが「ゾ・ピープル」という言葉を使い始めました。ジェームズ・C・スコットは、「ゾミア」という概念歴史をアナキズムの世界史において重要なものとして位置づけた結果、これが世界的に知られるようになったのです。
宮津:「ゾミア」は特定の人々を指すのか、それとも行動を示すものなのでしょうか?
藪本:基本的には地理的な概念で、場所を指す言葉です。ただ、本来は「人々」という意味も含まれているため、少し複雑な言葉ですね。ちなみに、スコットは、第二次世界大戦後にはゾミアはもう存在しないと言っていますが、私自身も近代化していくアカの村にフィールドとして入って、それを実感しました。確かに、物理的にはゾミアはもはや存在しないと感じます。ただ、現在、博士論文を執筆中ですが、アーティストの精神や実践に「ゾミアネス」が存在しており、ゾミア的な空間を作り出す条件とは何なのかを検討しています。つまり、場所はなくなれど、アーティストたちの力によって、「ゾミア」という空間は、いまだ世界中に存在しているのではないかということです。
宮津:まとめると、藪本さんは2021年から紀南アートウィークを主催されていて、私も初回の立ち上げに参加させていただきました。その後は藪本さんが地元の方々と共に進めていらっしゃいます。紀南アートウィークの特徴のひとつは、藪本さんのお仕事、特に東南アジアや法律との関わりが深いことです。法律事務所グループの経営者としての立場から、従業員や国家権力との「拘束し合う関係」について考える中で、「ゾミア」という概念にたどり着いたんですね。
日本にも、紀伊半島や熊野古道に住む人々が、国家権力や社会の圧力から逃れ、移動しながら生きてきた歴史があります。東南アジアにもゾミアと呼ばれる人々がいて、戦後の世界が画一化される中で彼らも消えていった。日本にはかつて、山に住み、移動を繰り返す山窩(サンカ)と呼ばれる人々もいましたが、今では彼らもほとんど存在しなくなっています。しかし、世界中でアーティストの中には、このゾミア的な考え方やその精神を取り入れている人々がいます。藪本さんも、アートを通してその「ゾミアネス」を探求されているわけですね。
さらに、紀南アートウィークのもうひとつの特徴として、和歌山の名産であるみかんにも注目している点が挙げられます。みかんをテーマにしたプロジェクトでは、単なる視覚的な作品を作るだけではなく、みかんが人々に何を教えてくれるのか、また、農場や農園の未来をどう作り上げていくかを探っています。これまでの芸術祭とは一線を画す試みですね。私も関わらせていただいていますが、藪本さん自身のコレクションを多く取り入れている点も特徴的です。地方の芸術祭の多くは税金を使って新作を見せる形が多いですが、紀南アートウィークはその点で大きく異なっています。
藪本:とても適切にまとめていただいて、ありがとうございます。
チャイ・アートプロジェクトと未来のビジョン
宮津:今回の紀南アートウィークには、ラワンチャイクン茉莉さんも参加されると伺っています。
ラワンさんのお父様、ナウィン・ラワンチャイクンさんは東南アジアだけでなく、世界的にも活躍されているアーティストですね。彼のスタイルは今では広く認知されていますが、ナウィンさんや同じタイのアーティスト、リクリット・ティラヴァーニャが有名になった展覧会のひとつに「Cities on the Move(移動する都市)」があります。この展覧会は、アーティストも作品も移動しながら、各地でフィールドリサーチを行い、現地の人々と関係を築きながら歴史を振り返っていくものでした。お父様はそのように、外部から来たアーティストとして地域に影響を与え、さまざまな形で歴史や作品を残されてきています。
また、お母様の寿子さんは福岡市立美術館や福岡アジア美術館で、日本美術の研究をされ、当時はまだ少なかったアジアの近現代美術の研究をリードされています。
さらに、茉莉さん自身は大阪大学で、ゴッホ研究で知られる圀府寺先生のもとで学ばれていたと伺っています。圀府寺先生は、美術史や美学の観点から、ゴッホの作品がどのように評価されていったのか、社会的・経済的な視点も取り入れて研究されています。
ラワンさんがアーティストなのか、キュレーターなのか、といった話しもありますが、ラワンさんのアート活動の目的について、ぜひお聞かせください。
ラワンチャイクン茉莉(以下、ラワン):ありがとうございます。ラワンチャイクン茉莉と申します。今のお話に少し付け加えると、私は現在、大学院の博士前期課程1年に在籍していて、学生という立場を持ちながらアート活動を展開しています。アーティストなのかキュレーターなのか、というご質問ですが、正直、自分でもその境界は曖昧だと思っています。今の時代、アーティストが自分の作品を自らキュレーションすることが多いですよね。私も、単に作品を制作するだけでなく、自分の目指す世界を表現するために、キュレーションや空間作りにも力を入れています。なので、私は「アート活動」という表現で自分の仕事を紹介することが多いです。
私の活動の目的ですが、「Connect and Save the World by ART(アートを通して人をつなぎ、世界をより良い方向へ導く)」というミッションを掲げています。これは昨年自分で定めたもので、壮大な目標ですが、23歳の自分がどうそれを実現していくかを考えたとき、会社でいうMVV(ミッション・ヴィジョン・バリュー)にあたるものが2つあると思っています。
1つ目は「Be the ARTISTICridge between Japan and South Asia(日本と南アジアのアーティスティックな架け橋になる)」です。これはインド系タイ人の父を持つ私のルーツを反映させたもので、後ほどお話しするチャイ・アートプロジェクトに繋がっています。
2つ目は「Be an ARTISTIC Light for All Children(すべての子どもたちにとってアーティスティックな光である)」というものです。私自身、幼少期に外国にルーツを持つ子どもとして、日本社会の中でからかいを経験し、多くの葛藤に向き合ってきました。そうした背景から、外国にルーツを持つ子どもたちに、アートを通して光を与えたいという思いがあります。これは日本国内だけでなく、将来的にはインドや東南アジア、ウクライナ、パレスチナといった地域の子どもたちと協働アートプロジェクトを行うことで実現させていきたいと考えています。
現在進行中のプロジェクトのひとつに「チャイ・アートプロジェクト」があります。これは、インドのミルクティー「チャイ」をテーマにしたプロジェクトで、日本と南アジアをつなぐ架け橋として考えたものです。具体的には、日本各地の素材とインドのスパイスを使って、ご当地チャイを作るという取り組みです。しかし、それだけではなく、チャイを作る過程で出会う人々や場所、歴史を映像や絵画にして、チャイという飲み物をアート作品として表現しています。
例えば、昨年は和歌山でこのプロジェクトを始めました。和歌山では、みかんを使ったチャイを作ろうという話になったのですが、みかん農家の方々との出会いや、彼らの家族の歴史、熊野との関わりを映像作品として記録し、作品化していく予定です。
紀南アートウィーク2023でのワークショップ「インドのスパイス、ベトナムのハーブ、和歌山のみかんでチャイをつくろう」の様子
最近は「Loveにまつわるチャイ・アートプロジェクト」も実施しました。。ある一つのコンセプトのもとでアート作品とオリジナルブレンドのチャイをつくり、作品を鑑賞しながらチャイを飲んでいただくことで、飲み物としての枠組みを超えて、チャイをアートの一部として捉えてもらうことを目指しました。このように、元来アートとは捉えられてこなかった飲み物ーここではチャイーを、アート作品にどう結びつけるかが私の挑戦です。
(上)個展「Breathe in Love, Breathe out Fear」(Kitano The MAGNET・神戸、2024年8月5〜11日)展示の様子
(下)開発・販売したチャイ3種
宮津:ありがとうございます。昨年、和歌山でチャイ・アートプロジェクトを始められたとお聞きしましたが、それは籔本さんとの関わりから始まったのでしょうか?
ラワン:はい、籔本さんからお声がけいただいたのがきっかけで、ワークショップをスタートしました。
宮津:今年の紀南アートウィークでも、籔本さんと一緒に取り組む予定ですか?
ラワン:今年は少し形を変えようと思っていまして、「Loveにまつわるチャイ・アートプロジェクト」と結びついたワークショップを実施します。このプロジェクトは私が今年の春夏に個人的に行ったもので、先ほど少しお話ししたように、愛というテーマを3つのコンセプトに分けて展開し、その中でアート作品とオリジナルブレンドのチャイを作りました。今年の紀南アートウィークでのワークショップは、その3つのコンセプトのうちの2つ目である「Accept and Heal 受け入れ、癒やす」が、アートウィークのテーマ「いごくたまる、またいごく」と親和性が高いことに気づきました。そのため、テーマに寄り添った形で発表をしようと考えています。
コンセプト「Accept and Heal 受け入れ、癒す」のもと制作された映像、絵画、椅子、手紙、チャイ
『いごくたまる、またいごく』―粘菌がつなぐアート
宮津:なるほど、ありがとうございます。それでは籔本さんにもお伺いします。昨年、ラワンさんの活動をどのようなきっかけで知り、紀南アートウィークに招かれたのでしょうか?また、今年のテーマである「いごくたまる、またいごく」についても詳しく教えていただけますか?
籔本:茉莉さんとは、たまたま大阪関西国際芸術祭でご一緒したのがきっかけでした。私が大阪関西国際芸術祭で、プロダクション・ゾミアでキュレーターを担当していたときに、茉莉さんがインターンをされていたんです。その時に担当したアーティストのひとりに、ベトナム・ハノイ出身のトゥアン・マミというアーティストがいました。彼はとてもユニークで、自分の体に植物を植えたり、植物が人に寄生するというテーマを扱っていました。彼は、人の移動と植物の寄生が相互に関連していることを表現していて、2022年の大阪関西国際芸術祭では、ベトナムの植物を会場に持ち込み、それを使って観客と一緒に鍋を作るパフォーマンスを行いました。私の大学院の主査である石倉利明先生が述べるように「我思うゆえに我あり」ではなく、「我食べるゆえに我あり」という発想ですね。精神と物質の問題を超えて、「食べる」という行為を通して、何かを支配したり/されたり、または寄生したり/されたりすることで、世界が成り立っていることを彼は表現しているように思えます。
その後、トゥアン・マミが昨年紀南に来て、3週間滞在しながら、ベトナムから来た技能実習生たちが持ち込んだベトナム植物のリサーチを行いました。その中で見つけた植物を使って、茉莉さんと一緒に、和歌山の柑橘やインドのスパイスを組み合わせたワークショップを開催しました。
私は法律事務所の人間として、アートをある意味「活用」している部分もあります。政治や法律の問題は、ときに「一撃必殺」的に問題を民意に基づいて合理的に解決しがちですが、日常生活において食べることや文化、アートは、政治や経済とは別の力学が生じているように感じます。たとえば、難民の受け入れ問題も、政治や経済で語られるとどうしても「受け入れるか、受け入れないか」という二者択一になりますが、マミは、まわりの人々や環境とともにただ一生懸命に鍋を作りっているだけで、何もいわないし、、茉莉さんは一生懸命にチャイを作り、それを人々に振る舞っているだけです。その行為にこそ、「何」か私たちが見落としている未来の可能性、あるいは、まだひらかれていないコモンズの生成可能性があるのではないか、と思うんです。
さて、今年の紀南アートウィークのテーマである「いごくたまる、またいごく」についてですが、「いごく」は紀南の方言で「動く」という意味です。「たまる」は集まる、そして再び動き出すという意味合いを持っています。そして、今回のテーマは「粘菌性」です。和歌山といえば南方熊楠が「日本民俗学の母」や「クィア研究のパイオニア」等として有名で、彼は粘菌の研究で知られています。粘菌は動物と植物の中間的な存在であり、性別が900以上もあったり、増殖し分裂したり、胞子になったりと、生死の境界を超えた存在です。死んだと思ったら再び生き返るような、そういった流動的な存在です。南方熊楠が研究していたこの粘菌の特性が、今回のテーマとも関連しています。
紀南アートウィークでは、田辺市や白浜町を中心に10か所近くで20人ほどのアーティストの作品を展示しますが、毎年ワークショップも展示と同じくらい重要な位置づけとして捉えています。たとえば、廣瀬智央さんのコモンズ農園では「粘土団子の旅」というワークショップを行っていて、これはリクリット・ティラヴァーニャがタイ・チェンマイで行ったランド・ファンデーションという農業プロジェクトに影響を受けています。廣瀬さんや私たちは、愛媛の農学者・福岡正信先生の自然農法に影響を受け、私たちもそういった実験的な農法を試そうとしています。食べ物に関しても、柑橘などをテーマにしつつ、茉莉さんと継続的にワークショップを続けていきたいと考えており、今年もご参加いただけることになりました。
宮津:デカルトの「我思う、故に我あり」は、人間が自分の存在を考えることで認識するという有名な哲学の言葉ですが、一方でパスカルは「人間は考える葦である」と言っています。考えるという点でデカルトと通じますが、葦は植物です。人間は動物ですが、植物との関係をどう考えるか、という点で興味深いですね。和歌山が生んだ知の巨人、南方熊楠が粘菌について研究していたこともあります。粘菌は生と死、性差、多様な存在であるという点で、非常に興味深いものです。
また、ラワンさんが子どもたちへのプログラムで、多様なルーツを持つ子どもたちに焦点を当てることは重要です。日本では、見た目や言葉が「日本的」であることが中心になりがちですが、実際には移民のルーツを持つ子どもたちが存在し、その多様性が重要だというメッセージを発信しているのは素晴らしいですね。また、チャイという飲み物もアート作品として展示し楽しんでもらうという考え方は、非常に広義のアートを示しています。狭義のアートではなく、もっと多様で広い意味でのアートを受け入れていくことが大切です。
動物と植物、女性や男性、アートか否かといった二項対立ではなく、多様性を受け入れていく姿勢が重要です。私たちは知らないうちに西洋中心主義や人間中心主義に陥ってしまっていますが、アジアではアニミズムのような自然信仰や物の怪、付喪神といった独自の思想があります。インドやインドネシアにも同様の文化があり、近年では「ドクメンタ15」のルアンルパのように、西洋的な価値観を再考する動きも見られます。こうした視点から、紀南アートウィークやラワンさんのワークショップ、展示は大きな意味を持っていると感じます。
一方でART FAIR ASIA FUKUOKAについてご説明すると、アートフェア自体は後期資本主義やニューリベラリズムの枠組みに基づいたものですが、AFAFはアジアに焦点を当てていて、日本のアートフェアとしては珍しい存在です。今回もインドネシアのエコ・ヌグロホなど、アジアならではのアーティストを紹介しており、西洋中心主義や二項対立の考えを再考する作品が多数展示されています。紀南アートウィークと期間が重なるため、和歌山の山や海、みかん農園を巡り、体感的にアートを楽しむこともできると思います。
アートフェアは売り買いの場ではありますが、福岡という街で数日間だけ開催される中で、アジアのアーティストたちが西洋的な枠組みを超えるような作品を展示しているので、そういった視点からも楽しんでほしいですね。それでは、最後に籔本さんとラワンさんから、紀南アートウィークの注目ポイントをお聞かせください。
紀南アートウィークとART FAIR ASIA FUKUOKA、それぞれの挑戦
籔本:先日、ニコラ・ブリオーが芸術監督を務める韓国の光州ビエンナーレに参加してきたばかりなのですが、グローバルなアート界でも、粘菌的な流動性やリゾームの概念が広がっています。ニコラ・ブリオーの「ラディカント」の概念も、粘菌的なドゥルーズの「リゾーム」の概念に近いものがあります。この支配的なツリーを構築しない、水平的かつ流動的な考え方は、実は130年前に南方熊楠がすでに体得していたもので、西洋的な文脈や言葉で説明することもできますが、もともとアジアの中に自然に存在していた価値観でもあるようにも思います。こういったところから、西洋的な歴史観とは別にオルタナティヴな複数の歴史を発見していくことが重要ではないかと思っています。そのための紀南アートウィークでもあります。
今年の茉莉さんのワークショップでは、人間の精神、社会実践に渡るエコロジーを巡るスパイスや柑橘を使った新しい取り組みが行われるとのことで、どのように発展していくのか、私も非常に楽しみにしています。
宮津:ラワンさん、お願いいたします。
ラワン:私が関わっているワークショップの観点からお話しますね。今回のテーマである「いごくたまる、またいごく」が粘菌の性質から出発しているという話がありましたが、その中でも「またいごく」というテーマが重要です。チャイをテーマに、人間が「いごくたまる、またいごく」という状態をどう表現するかを考えています。肉体的に動いて溜まっていく状態、精神的に溜まってまた動く状態、その両方に対する知覚を緩やかに促す予定です。
映像作品を見せたり、アート性に加えてチャイという飲み物を通じて、視覚以外の五感もフルに活用していくことで、自分自身が「いごくたまって、またいごく」状態を感じてもらえる企画にしたいと思っています。
宮津:ありがとうございます。補足ですが、藪本さんが触れた光州ビエンナーレについて、私も弾丸で行ってきました。芸術祭は大きく2つに分かれます。一つはヴェニス・ビエンナーレのような町おこし系の芸術祭。もう一つは、ドクメンタのように第二次世界大戦やホロコーストを背景に、政治的な要素を持つものです。光州ビエンナーレは韓国の民主化運動の地で行われ、軍事政権を終わらせた象徴的な場所です。先ほど藪本さんが言及されたラディカントの概念や、リクリット・ティラヴァーニやニコラ・ブリオーの「関係性の美学」もそこで反映されていました。移動や流動性をテーマにした展覧会であったことが印象的です。
そして紀南アートウィークのテーマ「いごくたまる、またいごく」は、動きながら集まり、また動いていくことです。ラワンさんのワークショップでは、チャイという飲み物を通じて、肉体だけでなく心も動かし、何かを得る体験を提供します。チャイを中心に据え、狭義のアートではなく、領域横断的なアプローチで五感を使って楽しむことができるでしょう。
一方で、ART FAIR ASIA FUKUOKAは、アジア各国のアーティストが参加し、私たちが日頃当たり前と思っている西洋的な価値観を見直し、新しい視点を提供します。西洋の近代化や現代化の過程で失われつつあるアジアや日本の価値観を再評価し、未来を考えるきっかけとなる作品が展示されています。紀南アートウィークとART FAIR ASIA FUKUOKA、それぞれの魅力を存分に楽しんでください。
紀南アートウィーク
会期:2024年9月20日(金)〜9月29日(日)
会場:和歌山県紀南地域(和歌山県田辺市・白浜町)
▼田辺エリア(主展示)
南方熊楠顕彰館、SOUZOU、Breakfast Gallery(アトリエもじけ)、田辺市内の空き地・空きスペース等(屋外)
▼白浜エリア(連携企画)
南方熊楠記念館、アドベンチャーワールド、川久ミュージアム、三段壁洞窟、ノンクロン(Shinju)※一部会期が異なります。
ワークショップ:「またいごこう」のチャイ
https://kinan-art.jp/info/18828/
会期:2024年9月29日(日) 13:30~15:00(13:00受付)
会場:トーワ荘(和歌山県田辺市)
ART FAIR ASIA FUKUOKA 2024
会期:2024年9月20日(金)〜22日(日)[VIP View:19日(木)]
会場:福岡国際センター(福岡県福岡市)